「顔はイメージ」と「顔から感じる感覚」について。
原島先生の「顔はイメージ」というお話の中に「指名手配の写真はなぜ悪いか?悪い人と思って見るから悪い顔に見える。」というのがありました。
雑誌に犯罪者の顔が載っていると、確かに悪い人に見えます。
「悪い人だとわかって見ているから悪い顔に見える」と言うのは確かです。否定しません。
しかし、我々人間は原島先生が常々おっしゃっている「貧乏神がついている人っていうのはなんとなくある。」というのも、根拠がわからないにも関わらず実感しています。
科学的根拠はないものの、人間の感性として「悪い人の顔はなんとなく悪い」というのは否定できません。
そのなんとなく感じている“悪い印象”は、なぜ“悪い印象”と感じるのか?
私自身は、その感覚を磨くことに主力を注いでいますが、「なぜ」という根拠についても日々考えています。
雑誌に載っている犯罪者の顔。
眺めていると「いい部分」が見えてきます。
眺めていると「とても強い部分」「とても弱い部分」と何か極端な箇所があるのを感じます。
「どこがどうなっているのか?」「色艶、形、バランス…」なんとなく感じ、なんとなくわかっていますが、発表することはできません。
原島先生の研究室が“差別に繋がるから犯罪者の平均顔は作らない”のと同じ理由です。
もしかしたら、この先も犯罪者の顔について語ることはないかもしれません。
とても大きな問題なので、なんとなくわかっているレベルで公表すべきではありませんし、生活者(人間)にとっては、理由・根拠を“考える”よりも“感じる”ことのほうが重要だからです。
私は「顔の色形から相手の性格・本質を読みとる観相学」を専門にしていますが、そのいっぽうで「顔はイメージ」であることを、一般の人以上に理解しています。
私は人に会う時に、みないい人だと思って接するので、みないいイメージを持ち、みないい人に思って生きてきました。
これは「観相学」を研究してからも同じで、先に悪い部分が目についても、いい部分を見つけ、いいイメージを持って接するように心がけてきました。
そうして体験してきた結果として、最初に感じた、最初に目についた悪い部分があとあと現象として強く表れることが多いのです。
初めから悪い人と先入観を持って見てはいけませんが、感じた時はその感じたことを大事に優先して、距離を置く、関わらないようにすることは大切です。
観相家だからと言って、私が会う人会う人の顔を事細かに観察しているわけではありません。
みなさんも、顔パーツが持つ意味よりも、顔から感じることを大切にして生活してください。
次の予定が入っていたため、シンポジウム終了後の懇談の時間では数人にご挨拶しただけで失礼させていただきましたが、似顔絵アーティストの小河原智子さんとペアルック状態だったので(メガネが黒で似た形。トップスが黒。ボトムスがシルバーグレーっぽいデニム)記念に写真を撮りました。
なんとも不思議な感覚でしたが「顔と感覚」についての第一人である小河原さんとシンクロしたということは、私の感覚もかなりのものなんでしょう。