2004年12月27日(月)
12月1日に行われた、第26回 日本顔学会イブニングセミナー「アジアン・ビューティーというパラドックス」〜美のグローバル化の歴史と近未来〜に参加してきました。
講師は日本学術振興会特別研究員・国際日本文化研究センター外来研究員の眞嶋亜有さん。
今回は“顔”というよりは“美の文化”といった内容でもありましたし、今年も残すところあと4日となってしまいましたので早足で振り返ってみたいと思います。
※赤字が私の言葉です。
はじめに「今、 <アジアン・ビューティー>とは何なのか?-美という『承認願望』-」についての話がありました。
「世界が嫉妬する髪へ。」をキャッチフレーズにした花王の「アジエンス」というヘアケア商品が売上げナンバーワンとなっているように、白人を美の基本にしない、アジア人の美が認められる時代になったという解説。
しかし、そのアジアンビューティーとは西洋人コンプレックスの裏返しであり、アジアンビューティーとは、西洋人から認められてはじめて認められる「美」であることが語られた。
他には歴史や文学作品を振り返っての美に対する考え方やジレンマ(苦悩)等が語れたが、その中で印象に残ったキーワードとして、「身体(顔・肌)=可視的運命」「運命とは一生目に見えないもの。」「日本人も昔から(西洋人を美の基準にする前から)白い肌を美とした。」「ザビエルが『日本人は白人である。』と書き残していること(元々日本人の中で日本海側の女性は肌が白い)」というのがあった。
そして、今ようやく美のグローバル化の時代となり、美しさが多様化し「黄色の肌、黒い髪=アジアンビューティー」が西洋人からも認知されたことにより(アジア人の)美=文化として確立されたということだった。
眞嶋さんや原島先生から日本人における今後の美の文化について、既に髪を茶色にしたり、黒のままにしたりと、様々な美を楽しむようになってきたという話があり、その中では、原島先生の「ブロンドの髪の人が髪を黒く染める時代が来て、初めて美のグローバル化と言えるんじゃないだろうか?」という言葉が特に印象に残りました。
日本人は、和食、中華料理、イタリア料理、タイ料理、フランス料理と世界の料理を楽しむように、髪型(ヘアカラー)、肌の色、ファッションも、髪を染めることや、パーマ、日焼け、美白化粧品等などによって、西洋人っぽく、時には黒人っぽく、時には和(純日本)っぽく、東南アジアっぽく、中国っぽくと世界の美を楽しんでいます。
たぶん、今後もこの傾向は拡大するのではないでしょうか。
歴史をひもといてみても分かるように、日本ほど他の国の文化を積極的に受け入れてきた国は無いからです。
また、眞嶋さんが美を定義づける時に「美は距離 遠ければ遠いほど幻想」という言葉で表現していましたが、つまりこれは自分が持ってないものに対する憧れで、「美の定義」は「陰陽相対の原理」と通ずると思いました。
私は、顔相において「互いに自分にない全く逆の相の人同士が相性が良い。」としていますが、自分の美を認め、他人の美を認め、互いに自分に無い部分を認め合い、補い合うという意識が浸透した時こそ、顔のグローバル化の時代となるのではないでしょうか。