2007年7月23日(月)
6月23日に開催された、財団法人 花王芸術・科学財団主催、日本顔学会共催の、公開シンポジウム「顔と文化」シリーズ(第2回)『表現される顔』に参加しました。
昨年11月の第1回『進化し続ける顔』に続いて約半年ぶりの開催でしたが、今回は被写体としての顔、造形物としての顔、演じる顔という3つの見地から講演していただきました。
※赤字が私の言葉です。
基調講演『表現される顔』
日本顔学会会長、東京大学情報学環・学際情報学府教授・同工学部電子情報工学科兼担 原島博先生
・「仏像の顔」について
仏像の顔は5分、10分、20分、30分、1時間と長い時間見なくてはならない。
顔形を見るというより仏像と話している感覚になってくる。
そして仏像に見られている感覚になってくる。
仏像は1000年以上、いろんな顔を見ている。
先生本人がその「仏像に見られていた人」とのコミュニケーションしていた。
だんだん母親の顔に見えてきた。(お母様を亡くされた直後だったからか?)
顔→初めは顔の形(外見)を見ていたが、だんだん変わってきた。
・「こどもの顔、まちの顔」について
こどもの顔は街の顔を作っている。
ヨーロッパに1年間滞在した時に感じたこと。「子供と一緒に歩くことによって、子供に話しかける、親に話しかける。」
子供の顔を見るとみなニコニコする。→子供のおかげで街が明るくなった。→自然といい顔になる。
原島先生が1人で歩いていると、日本がバブル時代だったこともあり日本の営業マン(エコノミックアニマル)が、金儲けにやってきたような印象を持たれていたのだろう。
・「ゼロの顔」について
三林さんが「ゼロの顔」のテーマでどういう話をされるかわからない。
原島先生自身の顔写真(新宿伊勢丹写真室の顔、写真家 海田悠氏撮影の顔、雑誌のインタビューの顔)を公開して「私が知らない時に撮られた写真がいい写真」というお話。
「雑誌のインタビューでインタビュアーと話しているところを、プロにカメラマンに撮られた写真が自分でも気に入っている。」
※私自身も話をしている途中の自分の顔が好きです。
特に2002年の週刊B−ing(ビーイング)と2003年のミスユニバース2003(あなたのきれいを引き出すマガジン)の時の顔写真は、自分が話している時を撮られもので気に入っています。
テレビでも一人でカメラに向かって撮る場合より、スタジオで話しながら(コミュニケーションとりながら)のほうが好きです。
カメラに向かって話すとどうしても不自然な表情になってしまいます。
5月19日のフジテレビ「ハッケン!!」では、カメラ目線ではなく、ディレクターに向かって話している顔を斜めから撮られたのでとても良い表情をしていました。
それもテーマが【6億円も夢じゃない!?大人気“totoBIG”必勝法】ということで、これから買いに行く人に向けたアドバイスとして口角を上げる(開運の基本)話をさせていただいたので、ディレクターの顔が笑顔になり、[顔訓13箇条]の第13条「いい顔、悪い顔は人から人へ伝わっていく。」のようにディレクターの顔が私に伝わり、ディレクターの笑顔に同調して私もいい笑顔になっていました。
原島先生ご自身の「フォーラム顔学98」での暴走族スタイルの写真、「歌舞伎役者スタイルの顔」、「日本顔学会第11回公開シンポジウム」での女装スタイルの写真を紹介したあと【シンポジウム顔2002「変身」に探る人の関係性】で発表された顔の変身についての解説があった。
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変身によって
自分が変わる
他者が自分を見る目が変わる
自分が他者を見る目も変わる
新たな自分の発見
今の顔は、職業、環境、生活によって作られた顔
もっと多様な自分、もっと自由な自分
新たな他者との関係
他者の立場、考え方が理解できる
その身になって考えることができる
自分が生きている世界が変わる!
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講演1『顔には魅力がいっぱい-顔に映る社会-』
写真家・東京工芸大学芸術学部写真学科名誉教授 田沼武能先生
・その人らしさが出るように顔を撮る。
・カメラマンになりたての頃は「内面を表し出すように撮れ」と言われた。
・顔に映る社会【何とすばらしい傑作だ。人間というやつは!】※シェークスピア
・世界各国で撮ったたくさんの顔写真(世界中の子供の顔、戦争や、結婚式、難民...)を見せながら、“顔は、その人の心や置かれた環境・社会を現すもの、これまで生きてきた全てが刻み込まれるもの”という解説。
そして、その最後に【老夫婦の後ろ姿の写真】を選び、「顔が見えない写真でも幸せが見えればいいんじゃないか?」という言葉で締められた。
※「見る人が表の顔をイメージできる写真」ということだが、これは川柳に似ていると思いました。
川柳は5・7・5の全部で17音しかありません。
「17音を使って説明で全部を言うのではなく、聞き手にイメージしてもらえるような言葉を使うことによって自分が言いたいことを伝える」ということに通じます。
講演2『ほとけの顔もなんとやら〜仏像のお顔のはなし〜』
彫刻家・東京藝術大学大学院美術研究課/文化保存学教授 籔内佐斗司先生
・阿吽(あうん)とは?
阿は口を開いて悪い空気を吐く。
吽は口を閉じて新しい空気を吸う。
・お釈迦様の顔の特徴
てっぺんハゲ。
瞳が青い。
眉と眉の間に白毫(びゃっこう)がある。
頭の上が髪の毛を束ねたように盛り上がっている。
※田中ひろみさんの著書「仏像、大好き!」(小学館)には、『頭のコブは「肉髻(にくけい)」と言い、仏は頭がいいので脳みそがいっぱい詰まっているので、それがコブになったとか。』とありましたが、頭が良くなったから盛り上がったのではなく、正確にはただ単に髪の毛がボコっと束ねているだけとのこと。
上唇の溝(人中の真下の部分)が発達していた。
菩薩(女性)もヒゲがある。
舌が長く自分の顔全体を舐めることが出来た。
耳たぶに穴が開いていた。
二重顎。
首にはシワが三本。
・仏像の顔は時代によって違う。
日本人が考える仏像の顔はだいたい平安時代末の顔(=おだやかでやすらぎを与える顔)
鎌倉時代の仏像の顔は男前。
※観相学的には、やはり仏像の顔(=平安時代末の仏像の顔=おだやかでやすらぎを与える顔)はいい顔です。
講演3『ゼロ“0”の顔』
女優・落語家 大阪芸術大学短期大学部広報科 専任教授 三林京子先生
・ゼロの顔がキレイ。
無意識の素の顔(意識してない顔)がゼロの顔。
一生懸命やればやるほどゼロの顔に近づく。
・カッコをつけてずっと顔に力が入っていると眉間にシワが寄ってキーッと眉尻が上がってくる。普段の顔がそうなってくる。
※私が日ごろから言っている「顔は表情の蓄積なり」と同じです。
桂すずめの名で落語家としても活躍する三林先生。
師匠である桂米朝師匠は、顔で全てお見通し。
ちゃんと稽古して来たかどうか顔に出るので、入ってきた瞬間に見抜かれてしまう。
・ゼロの顔が怖くならないように挨拶をしましょう。
・心が顔に出る。
『全体パネルトーク』
「いい顔とは?」という時に「仏像のような顔」ということがよくあるが、仏像のような顔がホントにいたらビックリする。
インド人から見たら、日本の平安末の仏像の顔は病気の人の顔。
仏像の目線は造られた時代によって違う。
だんだん上から下に下がってきて、江戸時代の仏像の目は人を見下すような目線になってきた。
大笑いする仏像というのがある。笑うというのは悪を吹き飛ばす=厄よけ。
(藪内先生)
原島先生の「一番難しいのは笑いの演技と聞いたことがありますがどうですか?」という質問に対し
三林先生「泣かせる演技のほうが楽」
原島先生「笑うのは人間だけ(厳密にはチンパンジーも笑う。※赤ちゃんのチンパンジーでオトナのチンパンジーはあまり笑わない。)」「スマイルは一番高等な表情。※笑う(ラフ)以上に。」
参加者から田沼先生への「どんな気持ちで撮っているのか?」という質問に対して
「子供の気持ちと一緒になって撮る。表向きはポーカーフェイスだが。」
三林先生「(演じる上において)表情が一番変わるのは眉。メイクでは眉の上げ下げに神経を使う。」
原島先生「黒目より少し外側に眉山を置くのが最近の標準。ずっと外側に置くとツッパリ。黒目より少し内側に眉山を置くと優しくなる。」
表情の話から
原島先生「口の周りの表情は自分でコントロールできる、ごまかせる。が、目と眉は勝手に動く。眉から感情を読みとる。眉がないと感情が読みにくい。」
田沼先生「人間(こども)は遊ばないとダメ。遊ぶことでいろんなことを覚える。。最近の子供は経験が足りない。親が危ないと言って経験させない。」
※まさに、子供が人と遊ぶことをしなくなったので、相手の表情も読めなくなっている。そして本来人間誰もが持って能力である顔も読めなくなっているのだと思います。
三林先生
「主役になれる人の顔は、顔から出てくるエネルギーが違う。」
※原島先生も「フォーラム顔学2006」の【役者と顔】で「オーラのある顔」という言葉で表現していましたが、この「顔から出るエネルギー」「顔から出るオーラ」とはいったい何なのでしょうか?
原島先生
「顔学会の理事長だから、相手から『顔を分析される』とよく思われるが、コミュニケーションをとっている時は分析できない。人としてコミュニケーションしている。」
※私も顔相家(人相・顔相を観る人)ということで、取材で会った編集者やライターさんと会話中に目が合っただけで「鑑定されている!診断されている!見抜かれている!」と思われて、ガチガチに構えられることがあります。中には表情が無くなって本当に顔が固まってしまう人もいるくらいです(^_^;)。
もちろん私も相手とコミュニケーションしようとして顔を見ている訳ですし、取材対象となる人の顔写真(芸能人・スポーツ選手等)を鑑定しているので、同時に取材者を鑑定することは出来ません。
また、パーティーやお酒の席で「私の顔はどうですか。(鑑定してください。)」と言われることもよくありますが、これも人としてコミュニケーションしようとしているので、そういった場面で鑑定することは難しいです。
※コミュニケーションしようとしているので、良い方の場合はパッと気づいたことを言ったりして多少のリップサービスをしますが、悪い方の場合は嘘は言いたくないのでこういう場では言葉に詰まってしまいます。
※実際に個別の鑑定する時は、コミュニケーションをとり尚かつ分析して鑑定するわけですから凄くエネルギーを使うのです。
田沼先生
「女性を撮る時は相手に惚れて撮っているといい女の顔が撮れる。」
原島先生
「自分の顔は見ることができない。だからこそいい風に想像する。いい風にイマジネーション出来る。」
三林先生
「私は最高と思って舞台に立つ。」
原島先生
「目の前にいる人を美人に見た時は、相手も自分を良く見てくれている。」
原島先生
「元気を与えてくれる顔以上に、避けるべき貧乏神の顔というのは顔でよく分かる。」
※これは、動物生態学が関係しているのでしょうか?人間も動物としての防衛本能、自衛本能で避けるべき相手の顔は判断しやすいのだと思います。
この日、休憩時間にロビーに出ようとしたところ若くて美しい女性と目が合いました。
「一瞬ドキッとしたものの(テレビや雑誌で見て※ちょうど私が載ったananが発売中だったので)私のことを知ってるのかな?」と思って通り過ぎたのですが、その後ロビーで声をかけられました。
なんでも昨年6月の【顔のヒミツ】が特集だった「ダカーポ」で私を知り、私のウェブサイトを見たことがあったそうです。
そして私のこの日記で嘉祥流観相学会導主の藤木相元先生を知り、この日記を読んだ直後に銀座で藤木先生と偶然会ったとのことでした。
また、この女性は日本顔学会で有名なカメラマン「Happy Face Photo」の中村年孝さんとも知り合いだったので、2005年の「中村年孝 写真展 ハッピーフェイスフォト」で「私が撮った中村さんの写真も凄くいい写真なんですよ!」という話をしました。
それがこの写真です。
※
もちろん彼女には「日本顔学会」への入会もお勧めしました。
人というのは本当に不思議な縁で結ばれているものです。
しかし、これも顔で相手を知り、相手の顔を見て言葉を使って話をしたらわかったことです。
顔を見て話すのはコミュニケーションの第一歩。
【ふくろう流顔訓13箇条】第3条「相手の顔を見て話をしよう。お互いわかり合えるから。」 です!!