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2018-09-09

『月刊てりとりぃ』【大阪から池袋絵意知です!(37)】最終回「つんくと大阪の歌」

隔月で連載している『月刊てりとりぃ』の【大阪から池袋絵意知です!】

第37回は「つんくと大阪の歌」

最終回となる今回。

著名な作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、歌手、ピアニスト、音楽ライター、カラオケ音楽エンターテイメント会社社員、音楽ディレクター、CD・DVD企画クリエイター、レコードプロデューサーなどなど音楽業界の大御所が執筆陣に名を連ね、音楽の話が多い『月刊てりとりぃ』。

ということで、私も最後は音楽ネタでと考えて、『てりとりぃ』内のハロプロ担当として最終回は「つんくと大阪の歌」と前々から決めていました。

【大阪から池袋絵意知です!】
全37回でハロプロ関係が出てくるのは、おそらくこの4本。

【大阪から池袋絵意知です!(7)】「御堂筋」
【大阪から池袋絵意知です!(9)】「アメリカ村」
【大阪から池袋絵意知です!(12)】「梅田スカイビル」ポッシボー
【大阪から池袋絵意知です!(19)】「裏ハロショトーク」

その前の連載テーマ【美しい人】では、全6本のうち
「美しい人(2)」モーニング娘。 新垣里沙 の1本。

つんくと大阪の歌

冒頭は、「なんでも政治のせいにする人」へのメッセージを歌ったつんくさんのある楽曲のセリフから始まります。

その後、DA PUMPの『U.S.A.』ときて、モーニング娘。『大阪 恋の歌』など、大阪関連の楽曲が3つ出てきます。


話題のあの人の名前もコラム内に出てきます。
(ハロプロメンバーの個人名はたったの3名なのに)

私が「つんくの最高傑作」とした作品は何か?

いろんな人がハロプロやモーニング娘。やつんくを語っていますが、
サブカルハロヲタ野郎はもとより、ハロヲタ文化人もぶっ飛ばす内容になりました!

なんて書いておりますが、
この「月刊てりとりぃ」第100号(2018年6月号)は6月30日より配布開始で2ヶ月以上も前なのです。

ちょうど、6月30日(土)に資生堂 汐留ビルで化粧文化研究者ネットワーク研究会があり、同時刻に【「月刊てりとりぃ」同人によるポップス講座 シリーズ「エキスポ・ジェネレーション」#3 泉 麻人、鈴木啓之「バスと歌謡曲について語ろう」】が御茶ノ水の『エスパス・ビブリオ』で開催。

なので私は化粧文化研究者ネットワーク研究会に出て化粧文化の懇親会には出ず、「月刊てりとりぃ」のイベント修了後の懇親会のみこちらに参加することに。

後ろ姿は懇親会の店に移動中のラコステ新作ポロシャツの泉麻人さん。
(大きなワニとサングラスとテニスボールのイラストが洒落てます)
※若い頃はテニス少年だったっぽい印象の泉さんですがサッカー少年だったそうです。

 

初めて会う「月刊てりとりぃ」執筆者もいて楽しい時間を過ごせました!

そんな中、(執筆者ではないけども)隣の女性編集者に「ゲイにモテそう」と言われた話をこちらに書いています。

「月刊てりとりぃ」の【配布場所】は週刊てりとりぃ右サイドの【「月刊てりとりぃ」配布場所】をご覧ください!

が、この翌月の最終号の配布も終わっております。

おそらく残っていないと思いますが、もしかしたらどこかにあるかもしれませんので、読みたい方は関係者ルートをあたってみてください。

いつも『月刊てりとりぃ』は郵送で送ってもらうのですが、この時はちょうど発行日に手渡しで直接受け取りました。

だけど、目と通したのはなんと今日。

でも、いつものように、

6月号の個人的な注目記事は、

東京1972「キャンストのアイドル(2)」(泉麻人=コラムニスト)

学生時代の泉さんと山口百恵さんに接点が!

テレビの泉(84)『雑誌も文化』(加藤義彦=ライター)

国会図書館、大宅壮一文庫などの話、著作権…。
雑誌を文化として残す方法について書かれていて激しく同意しました。

『このミステリーの犯人は』(加藤紀子=タレント)

あの加藤紀子さんが『Tarzan』、『an・an』(中村アンさんが表紙)の筋トレ特集を購入したという話。

女性の筋トレブーム。

化粧文化研究者ネットワークでご一緒させていただいている米澤泉先生のこちらのコラムも大変反響を呼んでいます。

筋肉こそ最強のアクセサリー ~増殖する筋肉女子~(米澤泉) – Y!ニュース

長崎学のススメ(三十八) 『長崎学のススメ』(高浪高彰=長崎雑貨たてまつる店主)

アメリカニゼーションは米軍基地から始まった。

という出だしで始まります。
本当にそうだと思います。

私のブログ DA PUMPとハロプロと安室奈美恵と『ミスターU.S.A.』(沖縄魂) もぜひご覧ください。

流れてCM作曲屋【95】(桜井順=CM作曲屋)

アメリカとの関わり方がテーマ。ということでアメリカが続きます。

冒頭にある一文が重いです。
10歳そこらの軍国少年にとって、アメリカとは「B29」でしかなかった。
そして、歳後は桜井さんには珍しく政治の話。

街歩き山歩き 神楽坂に行った(川村寛=編集者)

神楽坂は2000年頃によく行っていた思い出があります。
コピーライターの方と。

「毘沙門天の前のビル」が出てくるんですが、このビルに入っていた嶋大輔さんのニンニク料理店、ベリーダンスも見れるトルコレストランは何度か行きました。

何軒かはしごすることが多く、はずれのほうにあった和食屋もとっても美味しかったのを覚えています。

御茶ノ水での「月刊てりとりぃ」懇親会参加後は、いつもの店に移動して別の女性誌編集者と飲み。

顔の広い方ですが、そこまで!という驚きの話がありました。

 

 

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