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2020-05-13

『好かれる顔、嫌われる顔はここが違う 人付き合いで成功する男のための顔づくり』村澤博人

7日間ブックカバーチャレンジ

これは「読書文化の普及に貢献するため」7日間毎日一冊の本を紹介し、その都度Facebookの友人を指名するというものです。

4月の中旬以降に始まったと思うのですが、現在もまだ続いています。

(新型コロナウイルス感染拡大防止でステイホームで過ごす人が多いので、その中で何か楽しいことを見いだそうとして始まったんだと思います)

私は、化粧文化研究者ネットワークでお世話になっている甲南女子大学の米澤泉先生(女子の社会学の第一人者)からご指名をいただきました。

ちょうど4月23日、サン・ジョルディの日(世界 本の日)にバトンを受け取れました!

4月23日はサン・ジョルディの日(世界 本の日)。令和最初のサン・ジョルディ

本の内容は説明せず、カバーを載せるだけらしいのですが、簡単に。

米澤先生からのバトンということで【1日目】は化粧文化研究者ネットワーク初代会長の村澤博人先生(当時は日本顔学会副会長も)のご著書を紹介します。

『好かれる顔、嫌われる顔はここが違う 人付き合いで成功する男のための顔づくり』 村澤博人(実業之日本社)

2003年10月22日発行

 

日本は「正面顔文化」

横顔はごまかせない

ヒトは化粧で、“人“になる

など。

帯に「自分の顔は、自分で決める!」

とありますが、私のホームページのメインビジュアルになっている「自分の顔は自分で創れ!!」と似ていますね。

『好かれる顔、嫌われる顔はここが違う 人付き合いで成功する男のための顔づくり』村澤博人(実業之日本社)の発行が2003年10月22日。

私の「自分の顔は自分で創れ!!」は2002年4月24日、ザッパラスが提供するauのEZ-web「占い全集」に顔相鑑定「顔占いラブラブ?」がスタートした際に初めて公開した「ふくろう流顔訓13箇条」の第13条にあるものなので、一応、私のほうが先であることを書いておきます。

奥付にある製本所には、私がリクルート時代に『ガテン』で若手採用のお手伝いをさせてもらっていた板橋区の石毛製本所が!
(石毛さんにはカラー1ページ広告をやってもらったことも!)

【7日間ブックカバーチャレンジ】は「読書文化の普及に貢献するため」7日間毎日一冊の本を紹介し、その都度Facebookの友人を指名するというもので

・好きな本を1日1冊、7日間投稿。

・アップするのは表紙画像だけでいい。

・毎回、投稿するごとに、1人のFB友達を招待してこのチャレンジへの参加をお願いする。

・参加を依頼された人は、気分次第で、スルーするのも次の人を招待しないのもOK(追加されたルール)。

というルールです。

最初のバトンは化粧文化研究者ネットワークつながりでメーキャップ・セラピストの塚本陽子さんにお渡しします。
塚本さん、よろしくお願いいたします!

私の雑誌デビューと村澤博人先生

村澤先生とは2000年3月に初めてお会いするのですが、その1年半後の私の雑誌デビューとなった『SPA!』(扶桑社)2001年10月14日号特集[ザ・顔面学]で、いきなり顔関係の大御所・村澤博人先生(ポーラ文化研究所主席研究員)と並んで登場したのでした。

黒のタートルのスティーブ・ジョブズのスタイル❣️

詳しくはこちらを。

本日発売『SPA!』【今週の顔 PEOPLE THIS WEEK】File.02で花田勝氏の人生を占う。

村澤先生は、2000年頃は池袋の立教大学大学院で非常勤講師をされていて、当時の私のいきつけの店で立教通りにあった、東京で佐渡島の味が楽しめる店「酒食処 いち」の話をしたところ先生も利用される店で、それをきっかけに西池袋界隈の話をさせていただいたこともありました。

佐渡島の味が楽しめる店「酒食処 いち」

「酒食処 いち」は、マスターが佐渡島の出身で佐渡島直送の素材が楽しめる店だったんですが、とにかく魚が新鮮で、魚の他に野菜も米も味噌も酒も全部佐渡から直送されたものを出すこだわりの店でした。

佐渡は「イカ」が特に美味いということで、刺身はもちろん、「いかの子の磯部揚げ」「とんびの唐揚げ」をよく食べていました。あと、魚をミンチにした「お魚コロッケ」!

刺身用の醤油も佐渡のものでちょっと甘い佐渡醤油。

佐渡の焼酎「つんぶり」も美味かった!
この「つんぶり」とは佐渡の方言で「山の頂」のことで、水割り、お湯割り、梅入れるのもノーで、これはロックで飲むと美味い焼酎でした。

マスターは週末によく佐渡に釣りに行くらしく、月曜日にはその新鮮な魚を求めるお客さんがたくさん来てましたね。

店名の「いち」はマスターの名前、菊池市春さんから。

そういえば、2005年以降は私のサインを飾ってもらってたこともありましたね。
確か、当時の「ひらがなサイン」を。

私の自慢の店でこの店でいろんな人と飲みました。

懐かしいなぁ。

数年前に立教通りを歩いたら、別の店(新潟の佐渡料理じゃなくて高知の土佐料理だったか?)に変わっていました。

出版社の営業マンとして

私は、基本的に自分のプロフィールを「出版社で3年半、人材総合サービスで7年半営業を経験」としてます。

これは、書店営業をしていた販売部(マーケティング局)時代を「出版社」としています。

書店さんから「リクルートは広告屋」と言われていた時代にリクルートで最初に「出版社」の営業をやったのは自分だという自負からです。

その後『じゃらん』『ケイコとマナブ』の創刊もあり、雑誌らしい「情報誌」が出て風向きも変わってきた頃でした。

リクルート事件後、銀座の教文館さん(アップルストア近く)はリクルートの情報誌の販売拒否をしていたんですが、『じゃらん』から販売を再開していただいた記憶があります(同じ営業所の先輩が担当していました)。

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