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2019-04-22

大阪から池袋絵意知です!「さかい利晶の杜(千利休と与謝野晶子と大阪府堺市)」

WEB版の『週刊てりとりぃ』

今回は、「さかい利晶の杜(千利休と与謝野晶子と大阪府堺市)」

堺が生んだ偉人、千利休与謝野晶子から一字ずつとった博物館です。
正式名称は「堺市立歴史文化にぎわいプラザ」

この連載の候補としてずっとあったのですが、2017年6月24日に京都産業大学むすびわざ館で開催された第1回京都HC塾「いい顔、いい心、いいコミュニケーション」で知り合った女性が、「さかい利晶の杜」の運営マネージャーをやっていることがわかり初訪問。

1月25日から5月6日までの企画展「黄金の茶室がやってきた」開催中だったのですが、他にも見所満載でした!

「黄金の茶室」豪華PR さかい利晶の杜 : 地域 : 読売新聞オンライン

企画展「黄金の茶室がやってきた」は、10連休の超大型連休となった今年のゴールデンウィーク(黄金週間)最終日の5月6日(土)までやっていますので、普通の大阪観光とはちょっと違った歴史文化に触れてみてはいかがでしょうか?

堺市立歴史文化にぎわいプラザ「さかい利晶の杜(りしょうのもり)」

http://www.sakai-rishonomori.com

4月7日の大阪ダブル選(大阪府知事、大阪市長)の結果(知事選は地域政党「大阪維新の会」で前市長の吉村洋文氏、市長選も維新代表で前知事の松井一郎氏が当選)を待って最後の締めにしたのですが、その後、4月15日には、堺市長・竹山修身氏の“記載漏れ”がさらに深刻化してきました。

「百舌鳥古墳群」の世界文化遺産登録を前にまたイメージダウン。

衰退化する堺市の問題は、大阪府&大阪市以上だと思います。

ということで最後のほうは、社会的、政治的な内容となっております。

ぜひ、ご覧ください!!

さかい利晶の杜(千利休と与謝野晶子と大阪府堺市)」

そして今日、

竹山・堺市長が辞職願提出 政治資金問題で 6月上旬までに市長選

https://www.sankei.com/west/news/190422/wst1904220024-n1.html

ようやく堺市が動き出すようです!

 

南海本線堺駅

さてここからは、「さかい利晶の杜」に訪問した2月8日(金)のことを。

この日は午前中、同じ南海本線羽衣駅にある小林美術館で冬期特別展「日本女性と着物」を見てからこちらへ。

初めて降り立った堺駅前。

広い道に車も人も少なく、活気がないのがショックでした。

かつて繁栄した都市特有の寂しさ。ポルトガルのリスボンを訪れた時と似た感覚。

食事をしてから行ったので広い広い大道筋を通ってフェニックス通りに。

「さかい利晶の杜」はフェニックス通り沿いにあります。

さかい利晶の杜

日本国旗(日の丸)の隣には堺市章が入った堺市旗。

「堺」の地名は、摂津国と和泉国、河内国の三国の「境(さかい)」に発展したことから。
市章は「」の字を三つ組み合わせたデザインとなっています。

センターに「黄金の茶室」の告知がドーンとあります。

観光案内展示室

入ってすぐの「堺市全図」(明治24年)

「泉州堺図」(文久3年)

 

日本最古の官道「竹内街道」はここだったよと現在の地図に当てはめている。

堺は街道を集める町「ハブ」であった。
関空、関西国際空港が「アジアの国際ハブ空港」であるように。

昭和初期の宿院界隈を再現したジオラマ模型は必見。

岸谷勢蔵画「堺市第一次疎開地区記録」があったから出来たことだ。

NPO法人堺観光ボランティア協会のスタッフに熱心に解説していただきました。

 

堺がいかに発展した都市だったかが窺えます。

看板の文字なども描かれている。

 

宿院鳥居付近は人が歩く様子まで精巧に作られている。

 

黄金の茶室

豊臣秀吉が造らせたとされるものの復元品を京都市から借りて展示。

さかい待庵

さかい待庵

茶の湯体験施設

 

元禄8年創業の蕎麦屋『ちく満(ちくま)』

2階から見える右の工場のようなビルは何?

と森田さんに質問すると、なんと、

元禄8年創業の蕎麦屋『ちく満(ちくま)』。
老舗のせいろそばで有名で、ふわっとした一風変わった蕎麦とのこと。
(イメージ的には、伊勢うどんの蕎麦バージョンか?)

ここは必ず食べに行きたいと思います。

中央の門が見える場所が、千利休屋敷跡

『ちく満(ちくま)』の外観

とても蕎麦屋には見えません。

大阪府堺市堺区宿院町西1丁1−16

千利休 茶の湯館

リーフデ号模型

千利休茶の湯館は、「千利休と堺のまち」「千利休と茶の湯」「千利休とその後」で構成されていて、最初は堺についてがほとんど。

富裕な町衆の話や住吉大社は海の神様などがありました。

この当時の地図では北海道がとても小さいです。

中近世にみる黄金の堺

1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』でも泉州・堺の町の栄枯盛衰が描かれたが、当時は日本一どころか世界有数の都市であった。

利晶の杜シアターの映像には、堺は日本のベニスで一つの都市国家を形成。「ニューヨーク フィレンツェ ベネチア」のように、人種、民族、文化、文物が行き交う海外に開かれた都市であったと。

茶の道は、手を清め口を清めて茶室へ入る、自分を見つめる、禅的精神。

 

天正18年(利休69歳)利休の茶会

お品書き

与謝野晶子記念館

光り輝く私の額

私の影

与謝野晶子の作品

とても趣きがあります。

当時与謝野晶子が記したたくさんのメッセージ

女もまた人である。
当時がどんな時代だったかがわかります。

晶子のメッセージ
ここに選りすぐられた「愛すること」「育てること、学ぶこと」「自由」「女らしさ」の読むだけでも価値があると思います。
※特に「女性の自立」をテーマにしたものが多かったように思います。

晶子の装幀

装幀者で探す

「竹久夢二」の名前がありますが、「不明」「その他」なんてのもありました。

与謝野晶子の顔

外斜視だからかなんか気になる

与謝野晶子は、菓子商 駿河屋(堺市甲斐町』の3女として生まれる。

創作の場

 

立礼呈茶

掛け軸の 和 雪月花 は(「1年中なごやかに」の意味)

 

茶の湯の世界を体験しました。

立礼茶席では、表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により、椅子席でお抹茶と堺の和菓子(生菓子)をいただけます。

和菓子は先に食べてしまって撮り忘れ、抹茶もちょっと飲んだあとで撮影。

千利休屋敷跡

椿の井戸が残っていて、

傍らにはちょっと早めの椿の花が一輪咲いていました。

椿の花は一般的には3月に咲くようです。

経年変化がいい。何100年前の檜。

与謝野晶子文学碑

晶子から寛へ

隣には「寛から晶子へ」もあります。

鉄幹と晶子が文学的才能を認め合い、尊敬し合い、そして愛し合っていたことがわかりました。

 


夕暮れのさかい利晶の杜

ひととおり見てまわってあっと言う間の2時間半。

たくさんの方からお話をうかがい堺の奥深さを知りました。

『週刊てりとりぃ』「大阪から池袋絵意知です!」で10本くらい書けるネタがありましたが、まとめて1本書いたのが今回のコラムです!

スターバックスコーヒー

さかい利晶の杜内の和の要素を取り入れたスタバで休憩。

出てくるともう真っ暗。

大道筋

行きに撮ってなかった大道筋(だいどうすじ)

大阪市の道路は東西に「道」、南北に「筋」なのに「道」と「筋」が一緒になってさらに「大」の大道筋

この広さ、写真で伝わりますでしょうか?

なのに車が少ない。

与謝野晶子 生家の跡

堺山之口商店街

 

週刊てりとりぃ

週刊てりとりぃ: 2019年4月19日(金)

今週は以下の3本です。

◉ 自伝準備稿 第4回 続・「名月赤坂マンション」は今 (伊藤アキラ=作詞家)

◉レーザーディスクは何者だ~絵の出るレコード史第4回「カウント2-3」(山下泰司=映像ソフト/番組制作者)

◉大阪から池袋絵意知です!さかい利晶の杜(千利休と与謝野晶子と大阪府堺市)(池袋絵意知=観相家・顔研究家・顔面評論家)

◉続・音楽夢想 素晴らしき女性SSWたちの思い出 #3 (本城和治=元レコードディレクター

私の後にある【続・音楽夢想 素晴らしき女性SSWたちの思い出 #3】の出だしが「ユーミンと同じ頃知り合ったのがりりィであった。」

いやぁ、凄い人達に挟まれて私のコラムがあるもんです。

こちらもぜひ、ご覧ください!!

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