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2019-12-31

原島博先生の【HC塾100回記念講演会】「彷徨する知」

2019年9月28日(土)は、
原島博先生の【HC塾第100回記念講演会】「彷徨する知」でした。

 

第50回の時にもいらした方、今回初めて会った方とさまざまなでしたが、約200人がいらっしゃってとっても愛のある講演会でした。

ほぼメモと写真だけでさくっと外在化します。

50回で100人、この日は100回で200人。

会場は東京大学情報学環福武ホール。

 

赤門

 

記念講演会「彷徨する知」(HC塾第100回記念講演会)

原島博 HC塾塾長

 

2009年の3月2日
最終講義はここだった。

とのことでしたが、厳密には、東京大学原島博教授最終講義は工学部2号館

2009年3月11日の“東大教授の原島博先生”としては最後の講演が福武ホールでした。

原島博教授の東京大学情報学環特別講演会「人の環、学びの環、夢の環」

このようにブログに外在化しているとわかりますね!

最近、数値にしないと評価できない人が増えた。

定年後は公的な仕事はほとんど断った。
自分の時間が欲しかった。

さまざまな自己暗示をかけた。
自分で自分をデザインする。

18歳〜33歳の15年を生きる。65歳から80歳を。

「残された人生は、知らない自分に会いにいく」

3.11は自分自身を揺るがせた。
「文明災」のように見えた。

東日本大震災の3ヶ月後の2011年6月11日に第1回HC塾を開催した。

この「大震災」の話をしている時に、会場内の赤ちゃんが泣き出したのが印象的でした。

HC塾は、
自分の暗黙知を明示知に。
完全に自己満足の営み(半分はそうだと思いますが、同時に我々に本当の「知」を伝えたいのだと思います)。

専門家にはできない話をする。
準専門家目線で話す。
細部には入らず全体を俯瞰する。

専門と専門の境界を見つめる。

俯瞰とメッセージ

知という営みを俯瞰する。
※マップとシナリオ

マップー全体の地図。
シナリオーその上をひと筆書き。

知の曼荼羅

HC塾は何を扱ってきたか?
歴史
人生
そもそも知とは何かを考える

宇宙、生物、人類、現代、未来

人類はもしかしたら地球の癌?

人類700万年の歴史を俯瞰して見てきたこと。

ホモサピエンス以外の人類は絶滅した。

いま、人類は遺伝子を操作して、自らを次の人類に進化させようとしている。

宇宙に行って幸せに暮らしたSFはない。

近代は成長と拡大を前提とした時代だった。

それがいま限界に来ている。

日本に限っても、いま大きな時代の変わり目。

次の時代をどうデザインするかが問われている。

未来は今のそのまま延長なのか?

「AI」が人よりも遥かに高度な知能を持つようになる。

「AI」はオールマイティーインテリジェンス。

自己家畜化

未来がいまの延長でないとすると

中世から近代の移行期はルネッサンス

新たなルネッサンスを←先生の希望

老いは避けられる、死は避けられない。

2012年3月に脳梗塞に。
これが、僕の人生観を変えた。生老病死。

「苦=想い通りにならない」仏教用語。

「生」生きることは想い通りにならない。

人類は助け合って生きてきた。
今それを忘れている。

「老」老いたほうがいいことが多い。
老人期は人生の絶頂期である。
自分の将来を考えなくていい。
ストレスは組織に属していることで起こる。
ストレスがない。

私自身、ストレスがない生活、ストレスを感じなくていい生活を心がけています。
最優先レベルで選択、ジャッジで大事にしていることです。

嫌なことはすぐ忘れる。
死んでお詫びします。少しだけお待ちください。

深刻な話をしている中このへんで笑いを入れてくるのはさすがの原島先生でした。

「病」病いは避けたい。でもそうはいかない。
病いと友人として生きる。
老人は病むことによって自分を大切にして労れることがある。
まわりからも労られる。
人のありがたさを知る。

「死」死がすべての終わりだと思うから辛い。
生は駅伝のようなもの。
タスキを次に渡したら死ぬ。
タスキをつなげるためにひたすら生きる。
死があるからこそ生がある。
死に感謝する。

知とは何か?
知の営みとは何か?

知の営みも次第に重くのしかかってきた。
もやもやの暗黙知を明示知に。
すっきりするはずが、もやもやだれけに。

知で果たして何になるか?
単なる自己満足。
知ることによって未来が絶望的になる。
憤慨でうるさいだけの老人になる。
空しくなってくる。

知的好奇心=煩悩では?

科学の知 自分が神になったように勘違い。
科学だけが知か?
人は何を知りたいのか?
私、
社会、
世界、

それにトータルの答えてきたのが「宗教の知」
一方で宗教には普遍性がない。→そこで哲学が生まれた。

近代の哲学は神に変わる。
「真理」
この「哲学の知」には苦しめられた。

西洋哲学は言葉による論理展開の沼に。

「言葉や論理で表現された知」だけが知なのか?

仏教の二諦説
世俗諦

不立文字

諸子百家 西洋の知だけが知ではない

諸子百家は西洋哲学と比べてはるかに多様。

「無の思想」

「有」を追求するのが西洋哲学

「無」に戻るのがインド哲学

般若の論理
「AはAではない、故にAである」

頭の中は知で充填するよりも空っぽのほうが知に対して謙虚になれる。

「空っぽ」とはどういうことか?

福富さんがデザインしたポスター

原島はこれから遊行期に入る。

人間の一生を「学生期(がくしようき)」「家住期(かじゆうき)」「林住期(りんじゆうき)」「遊行期(ゆぎようき)」

アーシュラマ(四住期)
子供に還る。

18歳から毎年若返る。
今9歳

HC塾も「遊び」として続けることができればすばらしい。

知の盆栽

盆栽は宇宙を現している。
世界(あるいは宇宙)を凝縮して表現し、そこに新たな小世界(小宇宙)

 

 

記念パネルトーク

 

 

陣内利博さん(武蔵野美術大学教授)、赤木洋さん(電通)、磯部なつみさん(日本BS放送)、原島博先生。

進行:大橋未歩さん(フリーアナウンサー)

(HC塾参加者で最高齢だった)勝井三雄先生、8月12日に87歳でご逝去。

勝井先生からのメッセージ「若い人を信じよう!」

原島先生の勝井先生評。
こんなに数値的な人は見たことがない。
※勝井先生は、幾何学的なパターン(彩紋彫刻機を使用したギョームパターン)を用いたグラフィックデザインで知られる。

赤木さん なぜHC塾に来ているのか?
原島先生はHC塾で(本を読むなど新しく得た知を)アウトプットしている。
アウトプットの仕方を学んでいる。
ネット検索では講演のシナリオはできない。

大橋未歩さんは脳梗塞仲間。

脳の4箇所が死んだけど違う部分が補完してくれた。

自分を見つめる機会になった。

前ばかり見ていると前しか見えない。
立ち止まるとまわりを見ることができる。
どう見られているかもわかる。

遺伝子を変えられる時代?

数万年で変わってきたものを。

大失敗すると思っている。

近代という時代はバブル。
(100年前の人は100年後をどれだけ予測できたか?)

いつまでも電気を信用するな。
(スマホも)便利だからと依存している。

原島先生の顔が半分だけなのはなぜ?(これは私が質問用紙に書きました)

「恥ずかしいから」とまずはおっしゃいましたが、次に

「顔は全部を見せないほうがかえってイマジネーションが湧く」

さすが、顔学の第一人者の回答が!

私と原島先生の見事なコンビネーション!

以上。ほぼメモですが、印象に残った言葉をまとめました。

メモが間違えていたらすいません!

死んでお詫びします!

ほ〜んの少しだけお待ちください!(笑)

 

 

記念パーティ

 

第3回HC塾 2011年8月6日

 

第100回HC塾 2019年9月28日

 

城戸崎雅崇さんとの会話の中で「ヨウジヤマモト」というワードを私が出すとなんと城戸崎さん、ヨウジヤマモトのスニーカーを履いてました!

100回を振り返る回だったので、自分が受講した回(京都HC塾含む)が甦ってきました。

自分より更に若い人を信じて、自分は楽しむ。
その姿を若い七に見せて楽しむことの大切さを教えたいと思いました。

そして、これからも原島先生が楽しまれる姿を私の楽しみにしていきます。

ありがとうございました!

 

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