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2020-03-14

『anan創刊50周年記念展』@美術館「えき」KYOTO|アンアンと私の歴史

昨日の3月13日(金)は京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階隣接にある美術館「えき」KYOTOで開催中の『anan』創刊50周年記念展生きて、愛して、歌って。創刊から‘70 年代の『anan』をプレイバックに行ってきました。

ananのスピリッツは1969年の『平凡パンチ臨時増刊女性版』時代にすでに確立されていた!

刺激的なキャッチコピーの数々にしびれた!

今よりもっともっと凄い!

日本の高度成長期がこの数々のコピーからもわかりました。

今の日本に足りないのはこのパッションだと!

1時間半くらいかけてしっかりメモしてきたので、おそらく世界一詳しいレポを書いてみます。

この開催を知ったのは、2月24日(月)、京都HC塾に行く途中のJR二条駅でこのポスターを見て。

京都HC塾「中東とイスラムの世界を垣間見る」|anan創刊50周年記念展

3月13日(金)は本来、京都のフリューさんで「化粧文化研究者ネットワーク 第54回研究会」が開催される予定で、その前に見に行くつもりでした。

が、「新型コロナウイルス感染症」による被害拡大影響で中止に。

まあでもこれは行くと決めていたのでこの日に行ってまいりました。

いちおう京都タワーをおさえで。

コロナ、コロナで、何もかもが中止、中止の世の中で、こうして開催していただけることは本当にありがたいです。

何もかも自粛、自粛、中止、中止では人間が萎縮してしまう。

この緊急事態は、健康(精神面も含め)、医療機関、経済、文化を上手にバランスをとって乗り越えていくしかないと思っています。

伊勢丹のエレベーターで7階に上がるとこうなっていて、右へ行くと美術館です。

チケットを買いました。

撮影は美術館内は禁止で通路のみ可となっています。

 

第1章 プロローグ〜ananが生まれるまで〜

日本のファッション誌は『装苑』によって始まり『anan』によって完成された。

『装苑』は文化服装学院(学校法人文化学園文化出版局)の女性向けファッション雑誌で、創刊当時は洋裁の専門誌として自分で洋服を作るファッション誌(型紙のついた実用服飾誌)でした。

『装苑』ではありませんが、系列の老舗女性誌『ミセス』には私も昨年12月に初登場。

福を招くメーク@『ミセス』2020年1月号

『anan』は1970年3月にフランスの女性ファッション雑誌『ELLE』と提携し『anan ELLE JAPON』として誕生しますが、その前の1969年に『平凡パンチ臨時増刊女性版』として4号のみ実験的に発刊。

『新女性誌』創刊準備号のようなかたちでした。

まず、男性誌である『平凡パンチ』の女性版として実験的に作られたのが興味深いと思いました。

本の流通の関係で正式に創刊となるまでは既存の雑誌の「臨時増刊」となったり、多くの『ムック』も増刊号の形態をとります。

で、この1969年には男性誌『平凡パンチ』の女性版として『anan』の準備号が発行されたこと。

※コンセプトは全然違うけど、この時は便宜上こうするしかなかった。

のちの男性ファッション誌ブームの時は既存の人気女性誌の男性版がたくさん出ました。

代表的なのは

アンノン族(1970年に創刊された若い女性向けの雑誌『an・an(アンアン)』と、1971年創刊の『non-no』(ノンノ))のもうひとつの雄(って書くと変な表現ですが)、『non-no』(ノンノ)の男性版として1986年に創刊され、若者向けメンズファッション誌の「顔」になった『MEN’S NON-NO(メンズノンノ)』です。

『MEN’S NON-NO』に続いて各出版社が“女性ファッション誌の男性版の男性ファッション誌”として「増刊号」発売や創刊をし、確かマガジンハウスさんも『anan』の男性版を出したような記憶もあります(違っていたらすいません)。

ちなみに私がファッションに興味を持ったのは『MEN’S NON-NO』創刊よりもうちょっと早く、『MEN’S CLUB(メンズクラブ)』(ハースト婦人画報社)と『チェックメイト』(講談社)が男性2大ファッション誌だった時代で『チェックメイト』を愛読していました。

『anan』になってからもメインのイラストレーターだった大橋歩さんのイラストが『平凡パンチ女性版』時代からよかったです。

アドちゃん(水森亜土さん)のビジュアルのような雰囲気で。

『anan』のイラストと言えばいまだに大橋歩さんのあのタッチのイメージです。

凄まじい情熱を感じる『平凡パンチ女性版』時代のコピー

これが、新しい時代を作るんだぞ!という心意気が聞こえるキャッチコピーです。

ユーカンなるメークアップ
「ひかえめに ひかえめに」「品のよい薄化粧を」から

ATTACK FASHION
もっと肌を出そう!攻撃しよう

GRAND SPORT
それゆけ!ジャンヌダルク

こうして歴史を振り返ることで、当時の女性たちのとてつもないエネルギーを感じました。

新女性誌のスタッフにふさわしい理想像をイラストで表現したものにも情熱を感じました。

『anan』と言えば占いでも有名ですが、1969年12月24日の『平凡パンチ女性版』ですでに「星占いによる貴女の来年の定められた運命」という特集が組まれていました。

1970年2月20日の『平凡パンチ女性版』には、新女性誌『ELLE(エル)』と提携と。

そして、『anan ELLE JAPON』として創刊されます。

『平凡パンチ女性版』時代も表紙はすべて外国人女性モデルだったと思います。

『anan』はパンダをキャラクターにしていますが、
1970年2月20日の『平凡パンチ女性版』から
<panda どのパンダがイチバンかわいい?>という企画で、水森亜土など一流イラストレーターによるパンダちゃん競作集のページがありました。

そして『anan』の歴史に意外な事実が!

『anan』の誌名を考案した人として、詰襟姿の男子高校生の写真が!

飯塚克彦さん(当時16歳)

で、今から50年前の1970年なのに賞金30万円!

そして、飯塚克彦さんの秋田県の住所までフルでバッチリ載っていました。

今じゃ個人情報の観点から考えられないですよね。

時代を感じさせました。

第2章(コーナータイトルメモ忘れ。ananの誕生?)

日本初のL版グラビア誌として『anan』が創刊。

印刷会社はanan創刊にあたって新しい印刷機を導入。

創刊号は1970年3月20日に発売!

フライヤーでも使われている表紙のフィフィさん似の女性。

Marita Gissy というモデルでした。

anan代表 立川ユリ

何人?
鼻高くてエラが張っていて口が横に大きくて目がパッチリした顔。

名前的にはハーフのモデル。

顔は白人ぽいけど黒人っぽい雰囲気もあり、ヨーロッパに近い北アフリカのモロッコ人やチュニジア人、アルジェリア人っぽいとなんとなく思いました。

※調べてみたら立川ユリさんはドイツ人の父と日本人の母から生まれた方でした。

立川ユリさんがヴィトンのバッグを持ってロンドンやフランス・パリのELLE編集部を訪れる写真は、今見ても本当にカッコいい!というか、今の女性誌にある写真よりも全然カッコいい!と思いました。

創刊号の表紙撮影からこれらの海外ロケの撮影を担当したのは立木義浩さんだったようです。

第3章 anan草創期

上でも書いていますが、ananは創刊当初から海外ロケを敢行。

No.3(1970年4月20号)
フランスでの写真で立川ユリの乳首浮き写真が3点。

当時から攻めているananです。

6号(1970年6月5日号)
香港での写真では街中でタバコを指で持つ立川ユリの写真が3点。

これまた時代を感じさせます。
当時は女性の喫煙なんて考えられなかった時代でしょうから。

値段はしばらく160円で、途中から200円になっていました。

この当時の表紙は、立川ユリ以外はすべて外国人モデル。

1070年代は日本人デザイナーが続々デビューして海外で評価。
高田賢三、三宅一生、山本寛斎。

布をみまとうことだけがおしゃれじゃありません

このコピーがまたかっこいい。

ananは創刊当初から若い女性に新しい旅の提案をしていた。

1972年2月20日号
<アンアン流 ひとり旅のすすめ>

最後の締めが「ひとりが怖いなら死んじまえ。」

9号(1970年7月20日号)は京都特集。

47号は「日本の旅」特集 。
お伊勢さまと島めぐり

上でも書いていますが、「星占いは平凡パンチ女性版」時代から。

ようは、服を着るだけがおしゃれじゃなくて、踊ること、話すこと、食べこと、住むこと、旅すること、占い、みんなファッションだとananは提案してきました。

第4章 ananよ永遠に「アンアンがあった、アンアンがある。アンアンはあるだろう。」

218号(1979年5月5日)はさよならアンアン号。

予告で「5月11日、新アンアン誕生」とあり、

アンアンはやった。アンアンはやる!アンアンはやるだろう!

のキャッチコピー。

これまたかっこいいです!

50周年を迎えた『anan』へ各界の方々からメッセージ(ビデオレター)には、篠山紀信さん、松任谷由実さんら。そして、ananのイメージを作ったイラストレーターの大橋歩さんからも!

大橋歩さんのビジュアルは描かれるイラストのイメージ通りでした!

現在、79歳ということで29歳の時から50年間『anan』を支えて来られたということですね。

週刊『平凡パンチ』の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られるとのこと。

歴史を振り返ることでいろんな事実を知ることができました。

そして、ananが日本を創ってきたことを。

美術館「えき」KYOTOホームページ

『anan』創刊50周年記念スペシャルサイト

アンアンにおける池袋絵意知の歴史

美術館を出てショップがあり、

通路(美術館エントランス)の撮影可のコーナーには創刊号から最新号までの歴代表紙が!

右のは自分も載ってるかな?

見覚えのある表紙の数々

この優香さんのと吹石一恵さんのはめっちゃ覚えています。

年代別の傾向はこのようにまとめられていました。

1970年代〜
まだ憧れだったパリ、ロンドンなど海外ロケ。
ファッションページの衣装はデザイナーによる一点ものも!
『anan』の旅行特集を片手に旅することが流行に。
斬新な表紙と誌面で自立した女性のための感性を磨く術を提案。

1980年代〜
月2回刊→10DAYS→週刊誌と変化。
「好きな男」「全国おしゃれスナップ」「セックス」「雑貨」など、
特集をワンテーマで掘り下げるスタイルを確立。

1990年代
トレンディドラマが大ヒット。
恋愛を取り上げることが増えた90年代初頭。
バブル崩壊後は「節約」「友だち」「自信」など
自分を見つめなおすテーマも増えた。

2000年代
「好感」「運がいい」「オーラ」といった好かれる女性の共通項を考察する時代。
それを体現するミューズとして有名人が表紙に登場。
“内面の輝きも周囲を惹きつける条件”

2010年代
美と健康をサポートする最新方法。
「美脚美尻」「くびれ」「腸」のパーツ企画。
「大人の男」「お取り寄せ」「マナー」
K-POPブームで韓国のアーティストもたくさん登場。

2015年〜
2016年に通算2000号を突破!
開運特集やベストコスメ。
「猫」「チョコレート」「アニメ」など旬なテーマを
『anan』らしい切り口とビジュアルで総力特集。

 

私のananデビュー号、2007年6月発売No.1566特集【‘07後半、あなたの恋と運命を占う!】で「恋愛&セックス癖が丸わかり!オトコの顔面観相術をマスター」もありました。

と、撮影してきたのですが、これじゃなかったですね。

これは、2011年8月発売の『anan(アンアン)』8月10日号 No.1769

顔相とSEX「カラダの秘密がわかります!彼のSEX癖を顔相診断。」

の時のものでした!

表紙:Kis-My-Ft2で、玉森裕太さんの下に

彼の秘密の部分も丸わかり!!  

顔相とSEX

ということで私が『anan(アンアン)』に登場するまでと登場してからを振り返ります。

2001年から雑誌に出だして、

女性誌は2002年1月発売の『non・no(ノンノ)』2002年2・3号に初登場。

以降、女性誌は、『女性セブン』『mina(ミーナ)』『女性自身』『attiva(アッティーバ)』『CREA(クレア)』『MISS(ミス)』『VERY』とコメントや企画の監修で出てきたのに『anan(アンアン)』だけがなぜかなかった。

マガジンハウスさん自体も2006年6月発売の『ダカーポ』586号(2006年7月5日号)が最初。

で、

2007年6月発売『anan(アンアン)』No.1566、特集【‘07後半、あなたの恋と運命を占う!】の「恋愛&セックス癖が丸わかり!オトコの顔面観相術をマスター」でanan初登場!

 

以降、今まで登場した女性誌をまとめると、『with(ウィズ)』『すてきな奥さん』『BOAO(ボアオ)』『Domani(ドマーニ)』『ar(アール)』『ビーズアップ』『GISELe(ジゼル)』『VoCE(ヴォーチェ)』『週刊女性』『Ray(レイ) 』『SEDA(セダ)』『25ans(ヴァンサンカン)』『OZplu』(オズプラス)『FRaU(フラウ)』『sweet』『ViVi(ヴィヴィ)』『 美ST(美スト)』『CanCam(キャンキャン)』『CLASSY.(クラッシィ)』『mini(ミニ)』『SPRiNG(スプリング)』『ミセス』と出てない女性誌を探すほうが簡単です。

2007年

2007年6月
anan(アンアン)No.1566
特集【’07後半、あなたの恋と運命を占う!】で「恋愛&セックス癖が丸わかり!オトコの顔面観相術をマスター」

2003年12月発売の『小学館占いムック2004年総力占い「愛と運命の羅針盤(女性セブン増刊)」』で初めて取材ではなく執筆原稿を書いたのですが、その次の執筆原稿がこのアンアンだったと記憶しています。

これがけっこう話題になって他の女性誌でも「顔相とセックス企画」の仕事をよく受けるようになりました。

やはり、ananさんが女性誌と女性をリードしてきたことがわかります。

「ananと言えばSEX特集」

女性が書店やコンビニで大きくSEXと書かれた雑誌を購入する時代になりましたが、今度はそれを顔相とドッキングさせて企画にしちゃうという。

 

2008年

2008年4月
anan(アンアン)No.1607
特集「カラダに眠る運命のシグナルを探せ!」にて【恋も運気も、見た目で呼び込む!愛され顔に現れる幸せのサイン。】を担当。

この表紙、見覚えがあるので「自分も載ってる?」と撮影しましたがやはりそうでした。

2008年8月
anan(アンアン)No.1623
『特集 男は顔で選ぶな!』【なぜカッコイイ顔に惹かれる?】において心理学者の植木理恵さんとともにコメント。

※シルエットの表紙は文字でわかるように岡田准一さんです。

植木理恵さんはその後『ホンマでっか!?TV』で大ブレイクしましたが、私はテレビから消されました。

2010年

2010年3月
anan(アンアン)No.1702
特別企画【イケメンよりも、味メン!最新版!“モテ顔”ビッグバン】に取材協力。

 

2010年8月
anan(アンアン)No.1720
【運命も性格も相性もコワいほど当たる!手相・顔相 HAND BOOK】で「やっぱり有名人は顔が命!2010年の福顔&幸顔大集合~。」を担当。

2011年

2011年3月
anan(アンアン)No.1751
「テレビ局ごとの傾向が丸わかり!男子アナウンサーの顔相研究。」を担当。

 

2011年8月
『anan(アンアン)』8月10日号 No.1769

そして、私のananデビュー号と間違えて撮影していた表紙。

ふたたび、顔相とSEX

表紙は、Kis-My-Ft2

池袋絵意知は、ananの主力コンテンツである「占い」と「SEX」に貢献してきた。

と言えるでしょう。

この直後に同じ内容がムックに。

2011年8月
『anan特別編集 顔相BOOK (マガジンハウスムック)』

2012年

2012年7月
『anan(アンアン)』7月18日号 No.1815

表紙のシルエットは関ジャニ∞です。

気づいたら8年くらい止まってますね。

再びアンアンさんから取材依頼か執筆依頼があるのか?

神のみぞ知る!

池袋はやった。池袋はやる!池袋はやるだろう!

最新号の
『anan(アンアン)』2020年 3月11日号 No.2191 (創刊50周年記念特別号)表紙は、ジャニーズで今1番勢いがあるキンプリことKing & Prince。

50th

anan

1970→2020

ananさん、50周年おめでとうございます!

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